2009年06月20日

システイン (cysteine) はアミノ酸の1つで

システイン (cysteine) はアミノ酸の1つで、2-アミノ-3-スルファニルプロピオン酸のこと。側鎖にチオール基を持つ。チオセリンとも言う。略号は C あるいは Cys。酸性条件下では安定だが、中・アルカリ性条件では微量の重金属イオンにより容易に空気酸化されシスチンとなる。酸化型のシスチンと対比し、還元型であることを明らかにするために CySH と記されることもある。

親水性アミノ酸、中性極性側鎖アミノ酸に分類される。含硫アミノ酸。蛋白質構成アミノ酸のひとつで、非必須アミノ酸。糖原性を持つ。

少量ではあるが大部分の蛋白質にみられる。誘導体である N-アセチル-L-システイン (NAC) は一般的なサプリメントであり、抗酸化剤のグルタチオンへと代謝される。システインの名はシスチンから付けられたが、これはギリシャ語で膀胱を意味する kustis に由来する。シスチンは腎臓結石から最初に単離された。

赤唐辛子、ニンニク、タマネギ、ブロッコリー、芽キャベツ、オート麦、小麦胚芽に含まれる。体内ではメチオニンから作り出される。

求核性が非常に高いチオール基を持つため求核性触媒として働く。システインのチオール基の pKa は約 8 だが、その反応性は環境・条件によって調節される。システインを求核剤として含むタンパク質にユビキチンリガーゼがあり、これはユビキチンを結合するタンパク質に移動させる。カスパーゼはアポトーシスの際のタンパク質分解に関与する。インテインはシステイン触媒の補助によって作用することがある。これらの働きは、通常システインが酸化されない細胞内環境に限定される。
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システインはタンパク質を分子間で架橋させることができる。これにより、細胞外の厳しい環境での分子の安定性が向上し、タンパク質分解に対する抵抗性が与えられる(タンパク質の排泄にはコストがかかるので、その必要性は最小限に抑える方が有利である)。細胞内において、ポリペプチド中のシステイン間のジスルフィド結合はタンパク質の3次構造を維持する。インスリンはシステイン架橋されたペプチドの代表例であり、2つの独立したペプチド鎖が1組のジスルフィド結合によってつながれている。毛髪においては、システインによるジスルフィド結合の配列が巻き毛の度合いを決める。

ジスルフィド結合の生成はタンパク質ジスルフィド異性化酵素によって触媒される。細胞内でデヒドロアスコルビン酸が小胞体へと輸送され、酸化的な環境を作り出す。ここでシステインはシスチンに酸化され、求核剤としての作用を失う。

2009年06月02日

東南アジアに広まっていた火器が1543年前後

従来、『鉄炮記』の記述により日本への鉄砲伝来は1543年の種子島より始まるとされてきた。

しかし、近年では、東南アジアに広まっていた火器が1543年前後に倭寇勢力により日本の複数の地域に持ち込まれ、伝来当初は猟銃として用いられていたとする説も提示されている。(宇田川説) だが、欧米の研究家の間では、欧州の瞬発式火縄銃が日本に伝えられて改良発展したものが、逆にオランダによって日本から買い付けられて東南アジアに輸出され、それらが手本となって日本式の機構が東南アジアに広まったものとする説が有力であり、つくば科学万博においてポルトガル館で展示された「スリランカの火縄銃」は、日本製の銃に現地好みの木象嵌を銃床に施した「輸出仕様の堺筒」であるとの見方が日本の古銃研究家の間から出されており、この説を裏付ける資料とされる。

戦国時代以降、日本では近江の国友、同じく日野、紀州の根来、和泉の堺が鉄砲の主要生産地として栄えた。根来のみは織田信長・豊臣秀吉による紀州攻めの影響で桃山期以降衰退したが、国友・日野・堺はその後も鉄砲の生産地として栄え、高い技術力を誇った。

また、築城技術でも火縄銃の性能を活かした横矢掛かり(これ自体はすでに存在していた)などが発達し、赤穂城などに応用された。
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日本の銃器が伝来から幕末までの永きに渡り火縄銃から進歩しなかった理由として、江戸時代に入って徳川綱吉によって諸国鉄砲改めによる百姓の狩猟及び銃の原則所持禁止、銃器の移動制限がなされたことや、鎖国の影響による技術進歩の停滞という通説、フリントロック式は火縄式に比べ強力なバネが装着されており、撃鉄作動時の衝撃が大きく、引金を引いてから一瞬遅れて装薬に着火する機構のため銃身がぶれ、火縄銃に比べ命中率が悪く「一発必中」を好む日本人から嫌われたらしいことのほかに、日本では良質の火打石が産出せず大量生産ができなかったこと、またおそらくはすべての武術と同じく鉄炮術も一種の競技的な要素を含んで流派形式で継承されたため、その結果必然的に器具類の改変は避けられた、という要素も大きく、幕末に実戦を前提として新式銃が輸入されるまでほとんどの銃器が火縄式のままであった。

但し例外として、各大名諸藩で極秘裏に様々な銃器が研究されていたことも事実であり、そのバリエーションは多岐にわたる。幕末新式銃渡来直前に海外事情も考慮してパーカッション式の銃器すら模造、試作されたものの他には、実用の可能性を想定していたものかどうかは何とも評しようがないものが多い。火皿を3つ付けたものや、銃身がリボルバーのように回転する物など三連発の火縄銃や水平二連式短銃など、様々なものが試製されていた。

2009年04月30日

安閑天皇

安閑天皇(あんかんてんのう、雄略天皇10年(466年) - 安閑天皇2年12月17日(536年1月25日))は、第27代の天皇(在位:継体天皇25年2月7日(531年3月10日) - 安閑天皇4年(535年)12月17日)。広国押武金日天皇、勾大兄皇子。

和風諡号は、『古事記』に広国押建金日命(ひろくにおしたけかなひのみこと)、『日本書紀』に広国押武金日天皇とある。また『日本書紀』では、諱を勾大兄皇子(まがりのおおえのみこ)としている(‘まがりのおいねのみこ’とも読む)。

継体天皇の長子。母は尾張目子媛(おわりのめのこひめ)。

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皇后:春日山田皇女(かすがのやまだのひめみこ。仁賢天皇の皇女)
妃:紗手媛(さてひめ。許勢男人大臣の女)
妃:香香有媛(かかりひめ。紗手媛の妹)
妃:宅媛(やかひめ。物部木蓮子大連の女)
皇子女はなし。『本朝皇胤紹運録』に豊彦王(とよひこのみこ)を挙げるが、所拠不明である。

都は勾金橋宮(まがりのかなはしのみや。現在の奈良県橿原市曲川町か)。

なお、1889年から1956年まで存続した「金橋村(高市郡)」(現、橿原市)は、この宮号による近代の復古地名であったが、今ではわずか駅名などにその名を留める程度である
継体天皇に譲位されて即位する。そのとき既に66歳であり、わずか4年で崩御した。 安閑天皇の治世の出来事としては、屯倉の大量設置(30ヶ所以上に上る)、それに伴う犬養部の設置が挙げられる。

なお、『日本書紀』に引く「百済本記」(「百濟本記爲文 其文云 大歳辛亥三月 軍進至于安羅 營乞乇城 是月 高麗弑其王安 又聞 日本天皇及太子皇子 倶崩薨 由此而言 辛亥之歳 當廿五年矣」)によれば、531年頃に天皇と太子・皇子が共に薨去したという所伝があるといい、継体天皇の死後、安閑天皇・宣化天皇の朝廷と欽明天皇の朝廷が並立していたとか、2朝間に内乱があったと見る説もある(「辛亥の変」説)。
後世、神仏習合の教説で蔵王権現と同一視されたため、明治時代の神仏分離以降に、従来蔵王権現を祭神としていた神社で安閑天皇を祭神とし直したところが多い。

2009年04月15日

フェルディナンド2世 (両シチリア王)

フェルディナンド2世(Ferdinando I, 1810年1月12日 - 1859年5月22日)は、両シチリア王。先王フランチェスコ1世とマリーア・イザベッラ(スペイン王カルロス4世の娘)の息子。

子女 [編集]
サルデーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ1世の娘マリア・クリスティーナと結婚。1836年に長男フランチェスコが生まれるが、出産から5日後にマリアは急死した。

のち、オーストリア大公女マリア・テレジア(テシェン公カールの娘)と1837年に結婚。12子が生まれた。

ロドヴィーコ(1838年 - 1886年) トラーニ伯。バイエルン公女マティルデ・ルドヴィカ(オーストリア皇后エリーザベトの妹)と結婚。
アルベルト(1839年 - 1844年) カストロジョヴァンニ伯
アルフォンソ(1841年 - 1934年) カゼルタ伯。従妹にあたる両シチリア王女アントニエッタと結婚。
マリア・アンヌンツィアータ(1843年 - 1871年) オーストリア大公カール・ルートヴィヒの2度目の妃。フランツ・フェルディナント大公の母。最後のオーストリア皇帝カール1世の祖母。
マリア・インマコラータ・クレメンティーナ(1844年 - 1899年) トスカーナ大公子カルロ・サルヴァトーレ妃
ガエターノ(1846年 - 1871年) スペイン王女イサベル(イサベル2世の長女)と結婚。スペイン王子の称号を持つ。
ジュゼッペ(1848年 - 1851年) ルチェーラ伯
マリア・ピア(1849年 - 1882年) パルマ公ロベルト1世の最初の妃
ヴィンチェンツォ(1851年 - 1854年) メラッツォ伯
パスクアーレ(1852年 - 1904年) バーリ伯。ブランシュ・マルコネと貴賤結婚。
マリア・インマコラータ・ルイーザ(1855年 - 1874年) パルマ公子・バルディ伯エンリーコと結婚。
ジェンナーロ(1857年 - 1867年) カルタジローネ伯

天の浮橋 ワインレッド ルバーブ 優しい響き マナー スピネル うむら タルブロク ドライブ ドマリエ スペツナズ シルク ダンネージ タイフーン かきょう ストリ 薪の音 次世代 スコア ロッジ まいこ ギャンブ リプリン リマーク しまやま フィト マリッジ ラニン オダマキ ジンバク ステップ フリー ストック ムッシュー かまど シンボリ トルクア ブルネイ メクチュ ライト ノッブ ソンブ 道のつづき ミノス マキシム データ ラチア ビンゴ シャド マキザサ

2009年03月31日

常ノ花寛市

常ノ花 寛市(つねのはな かんいち、本名:山野辺 寛一(やまのべ かんいち)、1896年11月23日 - 1960年11月28日)は、大相撲の第31代横綱である。岡山県岡山市生まれ。現役時代の体格は177cm、117kg。

来歴 [編集]
利発な少年で、12歳のときに大阪であった大火の被災者支援のために子ども相撲大会を企画し、純益を義援金として送ったという。これを知った陸軍第17師団長一戸兵衛が常陸山に紹介、13歳で出羽ノ海部屋に入門、1910年(明治43年)1月場所に初土俵を踏む。前日に入門していた大錦卯一郎とは番付の上では同期生となる。

決して力が強いわけではなく、また栃木山よりは重いとは言っても細くて軽いので、1917年(大正6年)5月場所の新入幕当時は横綱を期待した者は少なかったという。しかし生来の負けん気の強さから稽古熱心、数多くの稽古相手という恵まれた環境に加えて、師匠常陸山の熱心な指導で順調に出世した

1920年(大正9年)5月に新大関、この場所は負傷により全休だったが翌場所9勝1敗、次が10戦全勝(初優勝)で成績を見れば当然横綱だった。しかし大錦と栃木山がいて上がれず横綱は敵方の源氏山に先を越された。1924年(大正13年)5月場所で新横綱、1926年(大正15年)1月場所には2度目の全勝を達成した。

大坂相撲との合併後は1927年(昭和2年)1月場所こそ不調で大阪から編入した宮城山に優勝をさらわれたが3月、5月、10月といずれも10勝1敗で3連覇、1928年(昭和3年)5月場所には3度目の全勝で第一人者の地位を不動のものとした。

右差し得意の速攻相撲で猛突っ張りもあり、櫓投げを得意とするなど取り口は派手なものであった。「うっちゃり」の吉野山を苦手とし、1927年(昭和2年)1月東西合併初の本場所、一気に押し出されたのをはじめ、1928年(昭和3年)10月と1929年(昭和4年)1月はいずれもうっちゃりで連敗している。

ところがまだ充分に実力はあったのだが1930年(昭和5年)5月場所途中で突如引退、年寄藤嶌を襲名した。引退してすぐの頃講談社から優勝した力士に銀杯を贈りたいと申し出があった。当初協会はこれを断ろうとしたが彼はこれに目をつけ周囲を説得、申し出を受けることが決定した。引退にあたりNHKの相撲中継で知られた松内則三は「いつまでも ふくいくと咲け 常ノ花」と詠んだ。

理事となり1932年(昭和7年)1月に起こった「春秋園事件」では協会の使者として春日野とともに天竜らの説得にあたるなど、事件の収拾に当たった。事件後出羽海、入間川、高砂の3取締が引責辞任した後を受け、春日野、立浪、錦島とともに取締に就任した。1944年(昭和19年)、相撲協会の第2代目理事長に就任、これは元力士としては初のことであった。1949年(昭和24年)には出羽海を継承し蔵前国技館を建設するなど大相撲復興の基盤を築いた。1956年(昭和31年)、蔵前国技館で赤い綱を締めて露払千代の山、太刀持時津風を従えて還暦土俵入りを行なった。またこの時、平櫛田中による彫刻が作られている。

ところが1957年(昭和32年)3月に国会で相撲協会のあり方について問われると、強い責任感から5月4日、国技館内で鎧通しを用い腹と首を割り、ガスも使って自殺を図った。発見が早かったため一命は取り留めたが、これを重く受け止めた協会は急遽出羽海を理事長から降ろして後任を時津風と決め、出羽海は相談役となった。のちも協会内に隠然たる勢力を持ちつつ、部屋の力士の養成に注力したが、1960年(昭和35年)11月28日、11月場所千秋楽の翌日、停年制実施を前に二日市温泉の旅館で、胃潰瘍のため急逝。64歳だった。勲三等瑞宝章が追贈され、12月26日、盛大な協会葬をもって送られた。

優勝10回、うち3回が全勝、昭和に入って年4場所に増えたことも関係するが初めて優勝回数を2桁に乗せた力士だった。しかし、関西場所での最高成績力士には優勝額贈呈が行われなかったこともあって、4回は後年の追認による(賜杯は東京場所と同様に贈呈されていた)。そのため当時は新記録として認識されず、後に双葉山が10回目の優勝を果たした時には、タイ記録ではなく太刀山、栃木山の9回を抜く新記録と報じられた。

1929年(昭和4年)9月場所には優勝したが、8勝3敗の成績で「3つも負けた者に天皇賜杯とは不敬」とする声が上がった。このため「3敗以上した場合はたとえ優勝しても賜杯贈呈はしない」と規定が改定されるに至った。このためかこれ以後は1950年(昭和25年)1月場所に大関千代ノ山が12勝3敗で優勝するまで3敗の優勝者は出ていない。15日制以降では勝ち越し5点(10勝5敗)での幕内最高優勝は2008年までの時点では出ていない(15日制における最低成績での幕内最高優勝は1972年(昭和47年)1月場所に栃東、1996年(平成8年)11月場所に武蔵丸が記録した11勝4敗、勝率で換算すると11勝4敗と8勝3敗はかなり近い数値となる)。

師匠の常陸山は彼に大変大きな期待をかけていたようであり、それを物語る逸話がある。ある日常陸山は常ノ花を呼ぶと愛用のステッキを出して「いつかこれをおまえに譲りたい、でも横綱になるまではやらんぞ」と言ったそうである。これは常ノ花を横綱になれる男だと見込んで出世を大いに楽しみにしていたとともに、将来は部屋を継承してほしいと考えていたと推測できる。常ノ花は常陸山が亡くなってから横綱になったため本当に譲り受けたかどうかは不明だが、出羽海は継承しているため、その点では常陸山の願いは叶えられたことになる。
ボライズ ピーマン ストー トラ!トラ! ルワン クッツ フーリガン チレース ディーピー マルガリ カツレツ ストアブ オルゴ れいほく ステップ びゃくぐん 横野柿 ストア テーマ サルバド アクティブ ピンぼけ マドラー スコップ スメグマ ドティー スローフ レンチ フェン スロー ミリオン ブカレスト ロボトミ セラム 平和の種 ベルト ヤプー もらーど デンマーク サーンチー ピアノ はちろ パラソル スキップ ランダム モンブ ぶなしめじ セニョーラ ボンボン イアル

「相撲往来」「力士時代の思ひ出」「近代力士生活物語」「私の相撲自傳」「近世大関物語」など多数の著作がある。達筆でも知られた。亡くなる間際に後継者として九重親方(千代の山)を指名する遺言を遺したとされたが確証がなく、元出羽ノ花の武藏川親方が継承。これが後の九重独立騒動につながった。そのためか遺族は九重を支持していた。戦中戦後の困難な時代に辣腕を振るい、協会の発展に尽力した反面、その独裁的な傾向を誹謗する者も少なくなかった。

主な成績 [編集]
幕内在位:34場所(うち横綱20場所、大関8場所、関脇3場所)
幕内通算成績:221勝58敗8分6預68休 勝率.792
横綱通算成績:131勝31敗3分1預54休 勝率.809
幕内最高優勝:10回 (全勝3回)

2009年03月16日

賀茂別雷神社

賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は、京都市北区にある神社である。通称「上賀茂神社」(かみがもじんじゃ)。式内社、山城国一宮、二十二社の一社で、旧社格は官幣大社。

賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに古代の賀茂氏の氏神を祀る神社であり、賀茂神社(賀茂社)と総称される。賀茂神社両社の祭事である葵祭で有名である。
王様 ケルピ つまごい まさめ ドンタ ラドン スラグ リリース れんがいろ イグアナ ジーユー プロデュポ 寛仁 日野菜 かやべ 睡蓮 リサーチ 鳥のくちばし ながぬま ロット シンビ ロゼ オフデイ トラン ナノチュ シエスタ サンリ ハイル ドルメン シンデレラ せーじ フットギア アムス チャル 雪うさぎ ファム あんず ディレッ ランプ マチュピ とうゆう 竜馬の如く イカオ 春夏秋冬 モンスーン ムイズ しゅくや ユニテリ リードオ パーセク

賀茂氏の祖神である賀茂別雷命(かもわけみかづちのみこと)を祀る。「別雷」は「若雷」の意味で、若々しい力に満ちた雷(神鳴り)の神という意味である。

創建については諸説ある。社伝では、神武天皇の御代に賀茂山の麓の御阿礼所に賀茂別雷命が降臨したと伝える。

『山城国風土記』逸文では、玉依日売(たまよりひめ)が加茂川の川上から流れてきた丹塗矢を床に置いたところ懐妊し、それで生まれたのが賀茂別雷命で、兄玉依日古(あにたまよりひこ)の子孫である賀茂県主の一族がこれを奉斎したと伝える。丹塗矢の正体は、乙訓神社の火雷神とも大山咋神ともいう。玉依日売とその父の賀茂建角身命は下鴨神社に祀られている。国史では、文武天皇2年(698年)3月21日、賀茂祭の日の騎射を禁じたという記事が初出で、他にも天平勝宝2年(750年)に御戸代田一町が寄進されるなど、朝廷からの崇敬を受けてきたことがわかる。

794年の平安遷都の後は王城鎮護の神社としてより一層の崇敬を受け、大同2年(807年)には最高位である正一位の神階を受け、賀茂祭は勅祭とされた。延喜式神名帳では名神大社に列し、名神祭・月次祭・相嘗祭・新嘗祭の各祭の幣帛に預ると記載されている。弘仁元年(810年)以降約400年にわたって、伊勢神宮の斎宮にならった斎院が置かれ、皇女が斎王として奉仕した。

明治の近代社格制度でも官幣大社の筆頭とされ、明治16年には勅祭社に定められた。

2009年03月01日

トランスフォーマー (2007年の映画)

1980年代にブームとなった玩具・アニメーション・コミックシリーズ『トランスフォーマー』の実写映画版。今回の実写映画は侵略と共存がテーマとなっている。
クシェット ショベル フットプ スターリン ツリー 一期 ワッフル シリコー フォル ミッド オパール パスカル ニシダ バシネット ネトル いなば ハント トルネード ローダー スパラキ おどろき プログム リベット グアヤ ケープ うわばみ 水鏡 いろは坂 ストア サイヒト マチア トレッカー タマシダ ぼちゃ 温順山椒 グロナス レディ オーバート SEOタイ ビュー ディス オフセン かゆばら ダビンチ ディマー カイアポ かもい ギタリ るすつ トケドー

今まで何度か実写化は企画されてきたが映像面の問題や物語展開が困難などの理由で不可能とされてきたが、映画会社が実写化を強く要望したためあえて実現した。 配給会社側はトランスフォーマーを三部作にする事を決定している(ただしこれは、第一作の興行収入が好調であればという条件付であり、最初から続編の製作が決定していたわけではない)。

バンブルビーが中盤で変形する新型カマロを使用するにあたり、ゼネラルモーターズが登場する車種をゼネラルモーターズで販売している車を使うようにという条件を出した事からオプティマス・プライムとバリケードを除くキャラクターが変形する車の車種がゼネラルモーターズの車で統一されている。

トランスフォーマー達の変形シーンはマイケル・ベイのワンカットでみせたいという要望に応え細部までリアルに作り込まれている。最大で2万個以上の部品が動く複雑な変形シーンのアニメーションはCGアーティストの山口圭二が担当した[1]。

キャラクター作りはタカラトミーから間接的な協力を得て、オリジナルにできるだけ忠実ながら実在性を考えてデザインされた(総勢20人ほどのデザイナーが集められデザインされている)。また、『超時空要塞マクロス』(同じショットが連発されている)等[2]、日本のロボットアニメーションも参考にしている[3]。

戦闘シーンはアメリカ軍の全面協力を得てエキストラの多くに現役軍人や退役軍人などが参加している。またF-22やMH-53の貸し出しが可能になった。

全米で大ヒットとなった為、米国映画界では、「巨大ロボットもの」がマス市場で初めて成功した例となった。これが前例となり、ホラー映画に続き、日本の漫画・アニメーションの映画化が複数製作発表された。

日本では2007年12月19日に本編と特典ディスクの2枚組の通常版DVD、それにDVDが1枚収納できるオプティマスプライムのオリジナルフィギュアが同梱されている1万個限定のオプティマスプライムBOX、特典映像が増えているHD DVDの3種類のDVDが発売。オプティマスプライムBOXは予約の時点で完売という事態が起きた。HD-DVD版はPinP機能を使用したトリビア集特典が追加収録される。

現在、続編である『トランスフォーマー: リベンジ』は2009年6月26日公開予定で製作が進められている(撮影は2008年6月2日から開始している)。

第80回アカデミー賞において録音賞、音響編集賞、視覚効果賞に候補としてノミネートされた。第17回MTVムービー・アワードではベスト作品賞を受賞。

彼らの戦争― 選ばれたのは、地球。

未知なる侵略はトランスフォーム(変身)から始まる!

地球の危機を救ったのは、少年の勇気と、変形する愛車だった・・・。

従来のトランスフォーマーシリーズの作品において、日本放映版アニメーション(及びその関連玩具や漫画など)では英語名と異なる日本語名が使われていたが、今作では世界展開にあたり登場するトランスフォーマーの名称や関連する用語は、字幕スーパーや吹き替え版など全て英語名で統一されている(ただし今作のノベライズ作品の日本語訳においては用語やキャラクター名には日本名が使われている[5])。ここでは関連する用語について 本作→日本放映版テレビアニメーションの形で記述する。

オートボット→サイバトロン
ディセプティコン→デストロン
サイバトロン→セイバートロン
金属生命体→超ロボット生命体
登場するトランスフォーマー達の名称については 本作での名称(日本放映版アニメでの名称) と記述して説明していく。
2003年、火星に送り出した探査機ビーグル2号の謎の事故。公には着陸失敗とされていたその事故の原因は、ビーグル2号が記録していた最後の映像に映っていた存在によるものであった。

そして現代、中東カタールのアメリカ空軍基地に数ヶ月前に撃墜されたはずの軍用ヘリMH-53が飛来。そのヘリは突如ロボットに変形し基地を攻撃し壊滅させ、さらにアメリカの国家機密データにハッキングを試みようとする事件が起きる。

その数日後、アメリカのロサンゼルスに住む16歳の少年サムが購入した中古車が真夜中に勝手に動き出し、それを追ったサムは自分の車が生きており、ロボットに変形するところを目撃する。驚愕し逃げようとするサム。しかし今度はロボットに変形するパトカーに襲われてしまい、未知なる存在である自分の車に助けられることとなる。

何とか逃げ遂せた後、地球に次々と隕石に擬態した金属生命体が飛来。各々近くにあった車を解析し変形した彼らはサムの前に現れる。

彼らは「機械惑星サイバトロン」出身の変形能力を持った金属生命体であること、先ほどの「パトカー」のように地球に潜伏している「ディセプティコン」と呼ばれる悪の金属生命体達の一派から地球と宇宙を守るために現れた「オートボット」と呼ばれる一派であること、「ディセプティコン」が狙う地球を滅ぼしかねない力を持つ「オールスパーク」と呼ばれる物の在り処の鍵をサムが持っていることを告げ助けを求めてきた。

人類を巻き込んだ地球と宇宙の未来を賭けたオートボットとディセプティコンの戦いが始まる事となる。

2009年02月10日

さるかに合戦

さるかに合戦(さるかにがっせん)は、日本の民話の一つ。
ずる賢い猿が蟹を騙し殺し、殺された蟹の子供達に仕返しされるという話。
蟹がおにぎりを持って歩いていると、ずる賢い猿がそこらで拾った柿の種と交換しようと言ってきた。
レザー ホオズキ テレサイ スアレ 元亀 スリーブ アンス ファイフ テストパ 宇宙戦艦 ダーク アレン インロ デグー 赤いランプ 索ゴブレット トフル 男泣き ブロー キウイ ナーヤ ヒオウギ りょう カーブ ラワン ステッチ クイン きょっこう ブラッ きくもん まきえ 影の館 シリマリ クアッド 戦国合戦 ジャン サムネ ワーク シャイツ サイバ セルドレ ビュッフ 木漏れ日 シアター タムウ アココ オーニ ケンブ トークシ アネク

蟹は最初は嫌がったが、種を植えれば成長して柿がたくさんなってずっと得すると猿が言ったので蟹はおにぎりとその柿の種を交換した。

蟹はさっそく家に帰って「早く芽をだせ柿の種、出さなきゃ鋏でちょん切るぞ」と歌いながらその種を植えるといっきに成長して柿がたくさんなった。

そこへ猿がやって来て柿が取れない蟹の代わりに自分が取ってあげようと木に登ったが、ずる賢い猿は自分が食べるだけで蟹には全然やらない。蟹が早くくれと言うと猿は青くて硬い柿の実を蟹に投げつけ、蟹はそのショックで子供を産むと死んでしまった。


『猿蟹合戦絵巻』より、子供の蟹たちの敵討ちの場面。本作品では臼、蛇、蜂、荒布、包丁が集まっている。その子供の蟹達は親の敵を討とうと栗と臼と蜂と牛糞と共に猿の家に呼び寄せた。

栗は囲炉裏の中に隠れ、蜂は水桶の中に隠れ、牛糞は土間に隠れ、臼は屋根に隠れた。

そして猿が家に戻って来て囲炉裏で身体を暖めようとすると栗が体当たりをして猿は火傷をおい、急いで水で冷やそうとしたら蜂に刺され、吃驚して家から逃げようとしたら牛糞に滑り、屋根から臼が落ちてきて猿は潰れて死に見事子供の蟹達は親の敵を討てた。


現代では蟹や猿は怪我をする程度で、猿は反省して平和にくらすと改作されたものが多く出回る。これは「敵討ちは残酷で子供の教育上問題がある」という意見のためである。タイトルが「さるかに話」などといったものに変更されている場合もある。また、牛糞は登場しない場合もある。

近代日本を代表する小説家である芥川龍之介は蟹達が親の敵の猿を討った後、逮捕されて死刑に処せられるという短編小説を書いている(題名は『猿蟹合戦』となっている)。

また、1887年に教科書に掲載された『さるかに合戦』にはクリではなく卵が登場、爆発することでサルを攻撃している。また、牛糞の代わりに昆布が仲間に加わってサルを滑って転ばせる役割を果たしている。

地域によってタイトルや登場キャラクタ、細部の内容などは違った部分は持ちつつも似たような話が各地に伝わっており、たとえば関西地域では油などが登場するバージョンの昔話も存在する。

なお、近年の派生作品としてはパスティーシュを得意とする作家清水義範による「猿蟹合戦」をネタに司馬遼太郎の文体を真似たパロディ小説『猿蟹の賦』及び丸谷才一の文体を真似たパロディ評論『猿蟹合戦とは何か』や、漫画家吉田戦車による中国の少数民族に伝わる同様の説話「ひよこの仇討ち」と「猿蟹合戦」をヒントにした作品『武侠 さるかに合戦』などがある。

別伝
全く別の話として、サルがカニの代わりに木に登って柿を独り占めすると、蟹が一計を案じて「柿の籠は枝に掛けると良いんだが」とつぶやく。サルはなるほどと枝に籠を掛けると、柿の枝は折れやすいので籠は落ちてしまう。蟹は素早くこれを抱えて穴に潜り込む。サルが、「柿をくれ」というと、「入っておいで」と取り合わない。サルは怒って、「では、穴に糞をひり込んでやる」と穴に尻を近づけた。蟹はあわててサルの尻を挟んだ。それ以来、サルの尻から毛がなくなり、蟹の爪には毛が生えるようになったという由来話となっているものがある。

同類話には「猿蟹餅競争」「猿と蟇の餅泥棒」等で動物由来のものもあり「猿の夜盗」「蟹の仇討ち」「馬子の仇討ち」などがある。また仇討ちである話し後半部の類似話は中国、韓国、モンゴルにもあり、食物をめぐる葛藤話である前半部はもと餅争いだったが、柿へ変化し新しい後半話へと接続された。

後半部の類話は国際的に分布し、ヨーロッパ型ではグリム童話の『ブレーメンの音楽隊』系の昔話や、卵、針、糞、臼などが旅先で知り合い老婆の家に侵入して狼藉を働くと言う筋書きなど[1]。

またインドネシアのセラン島などに我日本国の猿蟹譚と同じ話があり、日本独自かどうか疑わしい説もある

モクズガニ(藻屑蟹)Eriocheir japonica は、エビ目(十脚目)・カニ下目・イワガニ科に分類されるカニの一種。食用として有名な「上海蟹」(チュウゴクモクズガニ)の同属異種であり、日本各地で食用にされ
ている内水面漁業の重要漁獲種である。

学名については、一般向けの書物や分類学以外の学術雑誌では Eriocheir japonicus が普通に用いられているが、20世紀末頃から甲殻類の分類学者の間で種名を "japonica" とする傾向が強くなっている。学名には属名と種名の性 (gender) 一致の原則が決められているが、属名 Eriocheir がもともと性不明の単語であるため、原則を適用することができず、男性形の japonicus と女性形の japonica のどちらが正しいという結論は出ない。甲殻類の研究論文が発表される最も信頼のおける国際学術誌である『 Journal of Crustacean Biology 』や『 Crustaceana 』では、 japonica が用いられている。日本甲殻類学会でも japonica を用いるようになってきているので、現時点ではそれに倣うのが混乱を避ける上で望ましい。

別名については、モクゾウガニ(千葉県習志野市)、ズガニ(静岡県伊豆地方)、ツガニ、ツガネ(長崎県)、ヤマタロウ、カワガニ、ケガニ、ヒゲガニ(徳島県貞光町)、ガンチ(徳島県阿南市),太田川流域の広島市では「毛ガニ」(スーパーマーケットなどで北海道などからこの地方に来るカニは「北海道の毛ガニ」とか「花咲ガニ」などと呼ぶ)などがある。モクズガニはおもに関東地方の呼び名であり、西日本ではツガニやズガニと呼ぶ地域が多い。「モズクガニ」と間違えて呼ぶ人がいるが、「モクズガニ」が正しく、地方名にも「モズク」とつくものは見あたらない。また戦前は「モクヅガニ」と書かれていた。

特徴
甲の拡大写真。細かいヒョウ柄が見える
色素異常個体。やや透明な感じの淡赤褐色
甲幅は7-8cm、体重180gほどに成長する、川に産するカニの中では大型種である。鋏脚に濃い毛が生えるのが大きな特徴で、 "Mitten crab (手袋ガニ)"という英名もこの毛に由来している。毛はふつう黒褐色をしているが、脱皮直後は白色で白髪のようにみえる。頭胸甲はやや後方に拡がった六角形をしており、側縁部にはノコギリの歯のようなとげが3対ある。体色は白い腹部と胸部腹甲を除き、本来全体的に濃い緑がかった褐色をしている。拡大するとわかるが、実際はこれはモノトーンではなく、黄緑色の下地に黒い縞模様が混ざった豹柄に近い。野生の状態では付着物が覆っていて黒く汚れた個体も多い。なお洗剤が流れ込む川は、あずき色や黄色の色素形成異常と思われる個体がみつかることもある。成長とともに鋏脚は相対的に大きくなり、毛も濃くなる傾向がある。成体では雌雄の形態差(性的二形)が明瞭で、雄は雌に比べたくさん毛の生えた大きな鋏脚を持ち、歩脚の長さは長い。成体の体サイズは雌雄でほぼ重なるが、雄の方が小型個体が多く、また最大サイズは大きい傾向がある。

成体の雄には形態に関して二形が認められ、相対的に小さな鋏を持ち歩脚の長い小型個体(甲幅約3-6cm)と、たくさん毛の生えた大きな鋏脚と短い歩脚の大型個体(約6cm以上)の2タイプが分けられるが、雌はこのように分かれる傾向は認められない。これはカブトムシの角やクワガタムシの大顎など資源防衛型の交配システムをとる甲虫類でよく知られる現象で、甲殻類ではアメリカザリガニの鋏にその傾向がある。このような雄の二形は、「配偶行動においていかにふるまえば最も自らの遺伝子を残せるか」という配偶行動戦略の違いが生出したものだという性選択の理論で説明されること多い。つまり大きな体サイズを確保できた個体は鋏という武器を有効に使い雌を獲得する(特にモクズガニの場合には交尾後ガードで交尾済みの雌の再交尾を妨げる闘争において有効に機能する)ような軍拡競争的進化で獲得された形態を発現し、小型の個体は大型個体には武器を使った闘争ではかなわないので行動力を高める形質を発現するというふうに、複数の戦略を生育履歴にしたがって切り替える表現型の可塑性が進化することで、二形が分離したというものである。

食性はカワニナなどの貝類、ミミズ、小魚、水生昆虫、両生類などを捕食するところが目撃されやすい、あるいは魚のあらなどを誘引餌として用いたカニ籠が漁獲に用いられることから、おもに肉食性と考えられていた。しかし、野生個体の胃内容を調べると通常底質からかき集められた枯死植物由来の有機物砕片(デトリタス)が胃を満たしており、肉食は機会的なものと考えられる。はさみの先端には黒い蹄状の爪がついているが、この爪は多くのイワガニ科に共通する特徴でもあり、底質の表面に藻類などの微生物が形成したバイオフィルムを掻きとったりするのに適している。モクズガニは淡水域において、コンクリートの護岸壁や岩に着いた糸状緑藻類を引きちぎって口に運ぶ行動がよく観察され、胃内容物も糸状藻類が比較的よく検出される。一般にイワガニ類は雑食か植物食が本来の食性であり、たとえばヒメアシハラガニのように動物食に特化した例はむしろ珍しい。多くのイワガニ類は温帯-熱帯域の水辺の生態系において、比較的大きな有機物である植物の枯死体や落葉落枝など(粗粒状有機物 CPOM : coarse particulate organic matter )を消費することで砕片に分解し、細菌や菌類などの分解者が利用できやすい形(細粒状有機物 FPOM : fine particle organic matter や、溶存態有機物 DOM : dissolved organic matter )に変え、物質循環を促進するという、腐食連鎖の上で非常に重要な役割を占めている。日本の河川でも、アカテガニやベンケイガニ、クロベンケイガニなど多数の種が湿地帯でこの役割を果たしている。モクズガニも同様に水中においてこのような位置を占めていると考えられる。飼育を行う場合も、動物性の餌ばかり与えるとすぐに死んでしまうので、植物性の餌を中心に与えるのが望ましい。モクズガニが 肺吸虫の二次宿主になることから、一次宿主のカワニナを好んで捕食するという説もあったが、河川では胃内容物にカワニナ由来のものが出るのはまれである。さらにサワガニに寄生する吸虫では自由に移動してサワガニに付着し、体表から体内に侵入することも報告されているため、モクズガニをカワニナの主要な天敵と考えない方がよさそうである。また鋏脚に密生した毛は食性に関係しているという説もあるが、採餌行動を見る限り実際はほとんど関係ないようで、胃内容物にも毛やそれに付着した物質が出てくることはほとんどない。また成長にともない食性が変わり、動物性の餌への好みが増してくる傾向があるようで、魚肉を餌として誘引するカニ籠には、ほぼ甲幅3cm程度以上の中・大型個体しかかからない。胃内容物も、海域の成体は淡水域の未成体に比べて明らかに動物性の餌が多くなっている。飼育下では脱皮直後の軟甲個体が共食いされることも多いが、餌の与え方や水槽の広さ、岩の配置などによりある程度防ぐことも可能である。

未成体は河川の感潮域からかなり上流の淡水域にかけて分布するが、分布の中心は淡水域の下流部にある。雌雄とも上流に行くほど大きく成長するため、大型の個体が採集される。上流域で採集された例としては、長野県を流れる千曲川や、諏訪湖で採集されたという記録がある。

成体はおもに晩夏から秋に河川の淡水域に出現し、雌雄とも、主に秋から冬にかけて繁殖のために海へ下る。そのため成体は春以降夏の終わりまで淡水域ではほとんど採集されない。河口や海岸では、秋から翌年の初夏にかけて甲幅3-8cm程度の成体が採集される。長く海にいる成体には甲に海藻が付着していることがあり、時には20cm以上に成長した緑藻が見られることもある。また繁殖期の終わりには、海域に毛の禿げた個体や脚の欠損した個体が多く見られるようになる。脱皮しない限り、毛は伸びることはなく脚も生えてこないので、脱皮しない繁殖参加個体は禿げて脚の無いまま死ぬことになる。

様々な塩分濃度の環境に出現することは、モクズガニが非常に強力な体液(血リンパ)浸透圧調節能力を有することを意味している。カニ類の中でも海域にしか出現しない種ではほとんど浸透圧調節能力がなく、外液の浸透圧に受動的に変化し、塩分濃度が低くても高くても体液浸透圧が変化して死んでしまう。また海水と淡水の混ざり合う河川の感潮域(汽水域)に生息する種では、ある程度の薄い塩分濃度に対して、体液浸透圧を保つ働きがみられ、通常の海水の塩分濃度(3%前後)の他に薄い塩分濃度の範囲でも生存できる能力を獲得している。モクズガニはさらにその上をいく体液浸透圧調節能力があり、かなり薄い塩分濃度に対して耐える能力があるだけでなく、高い塩分濃度に対してもある程度浸透圧を保つ能力があることが知られている。このことは塩分濃度の低い淡水環境だけでなく、塩分濃度の高まる干潟の潮間帯の環境への適応能力が備わっていることを意味する。

甲殻類は開放血管系であり、血液と組織液(リンパ液)が分化しておらず、両者の機能を兼用する血リンパが全身を循環している。そのため脊椎動物でみられるような閉鎖血管系が、迅速に全身を循環する血液の恒常性を保ながら、その強い緩衝機能に依存して全身組織の細胞環境の恒常性を保っているのに比べると、血リンパ中の浸透圧を一定に保つことは難しい。そこで甲殻類は、高浸透圧環境下では浸透圧調節物質(オスモライト)を蓄積して細胞内浸透圧を上昇させ、細胞容積を保つよう進化してきた。このようなメカニズムは「細胞内等浸透調節」と呼ばれている。容易に生合成の可能な非必須アミノ酸であるグリシンやアラニンは、多くの無脊椎動物種で最も有効なオスモライトとされている。モクズガニの成体では、淡水域にいる間に細胞内に無機イオンとD-およびL-アラニンのみを細胞内に蓄積させて回遊に備え、河口に達するとさらにこれを増加させ、海ではD-およびL-アラニン以外に無機イオンに代えてグリシンを大きく増加させ細胞浸透圧を高めていることが明らかにされている。つまり成体は淡水にいる間に既に海域に下る準備が体内でできているということである。

生活史
川に生息するモクズガニだが、幼生は塩分濃度の高い海でないと成長できない。そのため一生の間に海と河川の間を回遊する「通し回遊」の習性が生活史にみられる。ヤマトヌマエビやミナミテナガエビなど、淡水産のエビ類の多くも同様に通し回遊を行うが、これらはおもに淡水域で繁殖を行い幼生が海域へ流れ下る「淡水性両側回遊」と呼ばれるタイプである(魚類ではアユがあてはまる)。モクズガニはこれらとは異なり、親が海域へ移動し海域で繁殖を行う「降河回遊」(魚類ではウナギがあてはまる)というタイプである。琵琶湖や鹿児島県の池田湖など、海から遡上してくる経路の乏しい湖で大型個体が採集されることもあるが、海域での繁殖を活用しているモクズガニでは、淡水域で繁殖を行い生活史を全うする「陸封化」個体群は報告されたことはなく、進化する可能性も低いと考えられる。逆に淡水域に遡上せず、海域で生活史を全うする個体群(ウナギでは確認されている)も、報告されたことはない。

秋になると成体は雌雄とも川を下り、河川の感潮域の下流部から海岸域にかけての潮間-潮下帯で交尾を行う。雄は海岸を放浪する習性が強く、交尾相手の雌を探して数km以上移動することも可能である。しかし雄は繁殖可能な雌を識別することはできず、視覚でのみ相手を確認して求愛行動もなく接近し、雌に抱きつき交尾を挑む。相手をよく確認できないため場合によっては未成体の雌や雄、他種に抱きつくことさえある。鋏脚の毛は配偶行動において使われるという説があるが、モクズガニの交尾のプロセスを見る限り全く関係が認められない。カニの中にはワタリガニ類など雌が脱皮直後の外骨格の軟らかい状態でのみ交尾をする種類がいるが、モクズガニの雌は外骨格が硬い状態で交尾をする。しかし雌は産卵可能な程度に卵巣が発達していないと交尾を受け入れない。海域に出現する雌は必ずしも卵巣が発達していないため、雄を拒絶し、拒絶された雄が諦めて離れるのがしばしば観察される。放卵中の雌も雄を拒絶し、孵化させた後は次の産卵の直前でないと交尾を受け入れない。雌が雄を受け入れた場合は、数十分程交尾が続く。交尾を解いたあと、雄は雌を抱きかかえ他の雄に奪われないよう交尾後ガードを行う。通常ガードは1日以内で終わる。大きな鋏脚を持った大きな雄ほど配偶成功率は高く、他のペアから雌を奪い交尾することや、ガード中に他の雄を追い払いながら雌をしっかりと捕まえておくことができる。

雌は交尾後直径0.3-0.4mm程度の卵を産卵して腹肢に抱え、孵化するまで保護する。生涯産卵数は雌のサイズに応じて20万-100万の幅がある。このような産卵生態は、海産の他のイワガニ類同様の小卵多産の傾向であり、海域へ多数の幼生を放出し分布域を拡大させる繁殖戦略であるといえる。胚発生に要する期間(抱される期間)は、水温に応じて2週間から2ヶ月以上の幅がある。

孵化したゾエア幼生は0.4mmたらずで、遊泳能力の乏しいプランクトン生活を送るが、この時期は魚などに多くが捕食され、生き残るのはごくわずかである。しかし一方でこの時期の幼生は、浮力を調節したり垂直方向に移動することで潮流に乗り、広く海域を分散すると考えられる。そのため各河川に分布する個体群はそれぞれが孤立しているわけではなく、海域の幼生を通じてつながっているメタ個体群構造を成していると考えられる。それを裏付けるように、日本列島内では南西諸島を除くと遺伝子レベルの差異が非常に小さく、実際に河川どうしの交流が盛んであることが明らかになっている。

ゾエア幼生は10月や6月の水温の高い時期は2週間程度、冬の12月-2月にかけては2-3ヶ月で5回の脱皮をし、エビに似た形と遊泳法(腹肢による積極的な遊泳)を持つメガロパ幼生へと変態する。 一般に完全に淡水適応したカニ類では幼生期間の欠落や短縮がみられるが(たとえばサワガニ類やジャマイカ産のイワガニ類など)、モクズガニのゾエア5期、メガロパ1期という脱皮齢数は、他の海産のイワガニ類と比べても短いわけではなく、同様に浮遊幼生の期間を過ごしているということができる。

遊泳能力の増したメガロパ幼生は、大潮の夜満潮時に潮に乗り、一気に海域から河川感潮域へ遡上する。メガロパ幼生は淡水に対する順応性が備わっており、満潮時以外ほとんど淡水の流れる河川感潮域の上部に着底する。またメガロパ幼生は流れに対し正の走性があるため、瀬や魚道の直下に集中して着底する傾向がある。同様な環境に着底するカニのメガロパ幼生にオオヒライソガニやクロベンケイガニがいるが、モクズガニは甲長2mm程度、オオヒライソガニは4mm、クロベンケイガニが1mm程度で容易に識別できる。メガロパ幼生は10日前後で甲幅2mm程度の1齢稚ガニに変態する。着底時期は秋(10月-12月)および晩春から初夏(5月-6月)の2つのピークがある。

稚ガニは変態後しばらく成長したのち、甲幅5mm程度になると上流の淡水域へ遡上分散を開始し、おもに甲幅10mm台の未成体が成長しながらかなり上流まで分布域を拡げる。このサイズの未成体は歩脚の長さが相対的に長く、移動するのに適した形態を持っており、垂直な壁もよじ登ることができる。そのため遡上の障害になる河川に作られた横断工作物(堰など)も、ある程度の高さまではたやすく越える事ができ、魚道の護岸壁を水面から上がった状態で移動している個体も各地で目撃されている。いくつかの河川の魚道では、このようなカニが移動しやすいように、漁協や河川工事事務所により麻などでできた太い綱が水面近くに垂らされている。またこの分散中の未成体は淡水魚に捕食される可能性が高く、ニゴイでは胃袋を大量のカニで満たしたものも確認されている。未成体は河川で成長し、冬季の低水温期を除き脱皮を続ける。変態後1年で甲幅10mm台、2年で20mm台に達し、多くは変態から2-3年経過したのち夏から秋に成体になる。

成体はおもにその年の秋から冬にかけて川を下るが、地域によっては春になってから下るものがいる。雨が降り増水した時にカニの動きが活発になるので、下る個体が多い。堰のある川では、秋になるとしばしば川を下る成体が堰の直下の護岸壁にへばりついているのが観察される。しかし滝や堰を下るカニには水に流されて落下するものも多く、落差の大きな堰やダム、堰の直下にコンクリート製のたたきがある川では、叩きつけられて死んでいるカニがみつかることもある。また川を下る行動のピークは11月頃であるが、感潮域ではこの頃になると、環境の変化に耐えられず繁殖に参加する前に死んだと思われる成体の死骸が多数みられるようになる。またこの頃陸上を移動する個体が観察されることもある。

河口域から海域では9月から翌年6月にかけてのほぼ10ヶ月、繁殖に参加する成体が観察される。雌は4-5ヶ月の間に3回の産卵を行い、回を経るごとに産卵数は減少する。繁殖期の終わりになると雌雄とも疲弊してすべて死滅し、河口付近の海域では多数の死体が打ち上げられる。死骸はウミネコなど海鳥にとってはよい餌となる。一度川をくだり繁殖に参加すると、雌雄とも脱皮成長することなく繁殖期の終わりには死亡するため、二度と川に戻ることはない。寿命は産卵から数えると、多くは3年から5年程度と考えられる。

これまで、モクズガニは祖先が海域から河川へと分布を拡げ、淡水環境での成長という形質を獲得したものの、歴史が浅くサワガニ類のような完全な淡水環境での繁殖能力を獲得できていない、「まだ進化の途上にある種」とみなされることも多かった。しかし繁殖戦略や幼生の発生と分散から明らかなように、実際にはそうではなく、河川淡水域での成長と海域での繁殖による分布域拡大という、両方向の環境への適応を活用している種であるということができる。

分布
小笠原を除く日本全国、サハリン、ロシア沿海州、朝鮮半島東岸、済州島、台湾、香港周辺まで分布する。分布域はちょうど中国東岸部から東北部、朝鮮半島西岸にかけて分布するチュウゴクモクズガニを取り囲むように、亜熱帯から亜寒帯までの広範囲にわたっている。そのため外骨格の形態は共通でも、南方の個体群と北方の個体群では遺伝子のレベルである程度の隔たりがある可能性が強い。

川やその周辺の水田、用水路、河口、海岸などに生息する。一般的に、同じ川にすむサワガニよりは下流域にすみ、また同じイワガニ科のアカテガニのように乾いた陸上にあがることは少ない。淡水域にいる間は基本的に夜行性で、昼間は水中の石の下や石垣の隙間などにひそみ、夜になると動きだす。海に下ると潮の干満に合わせた行動もみられるようになり、昼の満潮時でも活動中の個体を観察することができる。

四万十川などの清流や信濃川、北上川などの大河で漁獲され、川の豊かさを示すイメージもあるが、都会の富栄養な川や家庭廃水由来の洗剤が流れ込む川、さらには水路のようなごく小さな川でも、流量があり外海と繋がってさえいれば多数分布している。また多くの干潟のカニ類が特定の底質環境を好み棲み分けが見られるのに比べ、モクズガニは砂、泥、岩、転石、コンクリートなど様々な底質に出現し、底質に対する選好性は比較的弱い。そのため様々な環境に適応する能力があるのは確かである。

スナガニ類やベンケイガニ類、同属のチュウゴクモクズガニと異なり、底質が固い粘土質である場合を除いて細長い巣穴を掘ることはまれである。特定のなわばりを持つこともないようで、移動性が高く、水中の岩の下に複数の個体が同居することも普通である。水流に対しては正の走性があるようで、淵に比べ瀬を好む傾向がある。しかし完全に瀬にのみ分布が集中するわけではなく、瀬頭から淵尻にかけての周辺に高密度の分布がみられる場合もある。堰がある場合も同様で、堰の直上の堪水域と直下の急流域にかけて分布が集中する場合がある。

利用
抱卵中のメス
可食部。黄色い部分が中腸腺。赤い部分が卵巣。右側の濃緑色部は外子。
調理例。上海蟹風に中国産香酢をつけて食べる。


日本各地で「ツガネ」「ツガニ」(津蟹)、「ヤマタロウ」(山太郎)などという方言でよばれ、古来から食用にされてきた。漁はふつう秋から冬にかけて産卵のために川を下るモクズガニを狙い、梁のような仕切りを併用した籠漁などがおこなわれる。

消費傾向は地域により差があり、多くの地域で地元で自家消費される他、県内で販売され消費される地域が多い。九州は消費の盛んな地域であり、鹿児島、宮崎、大分、島根などから福岡や北九州方面へ出荷されている。炭坑のあった筑豊では、穴から出られるという縁起担ぎのために食する習慣があった。また富山や福井から関西・中京方面へ出荷されることもある。四国では仁淀川や四万十川のものが有名である。取引きされる場合、多くはkgあたり1000円から2000円程度の卸値で扱われるが、関東や九州などの一部の地域では季節により3000円以上の高値が付くこともある。

資源保護
乱獲が心配されているため、内水面漁協による河川内の資源育成事業が各地で行われている。とりわけ、卵から孵した幼生をアルテミア(ブラインシュリンプ)などを餌として比較的容易に稚ガニにまで育てることができるので、育てた稚ガニを放流する増殖事業が、大分県、広島県、山口県、和歌山県、新潟県など各地で行われている。放流により心配される、遺伝的多様性の喪失や、他地域から異なる遺伝子集団を混入させることで生じる遺伝的撹乱については、本来日本産のモクズガニが遺伝的多様性が低いため、他の淡水産の漁獲対象種と比べてほとんど問題とならないということもわかっている。

食用
食用部はおもに、甲を開くと現れる「カニミソ」と呼ばれる中腸腺(黄色)と、脚の付け根にある筋肉の一部であり、さらに成熟したメスでは発達した卵巣(生時褐色、加熱すると橙色)、オスでは大型の鋏脚の筋肉も味わうことができる。海産のカニと異なる独特の甘みの強いかにみそは、珍味として愛好され、特に卵巣の発達したメスはオスよりも珍重される。料理は塩茹でやがん汁などがあり、郷土料理として供する所も多い。ただし、漁獲され食用に供されるのは川で採れる個体が中心であり、内水面漁業では重要漁獲種ではあるものの、海に下った個体は相手にされないことも多い。むしろ定置網にかかる魚を横取りする邪魔者とみる海面漁業者もいる。

感染症
なおサワガニが肺気腫や気胸を引き起こす肺吸虫(旧称:肺臓ジストマ)の一種ウェステルマン肺吸虫 Paragonimus westermani (Kerbert, 1878) の第2中間宿主となるのと同じく、この3倍体型でヒトでも成熟した成虫にまで発育するベルツ肺吸虫 Paragonimus pulmonalis(Baelz, 1880)の第2中間宿主となるので、料理の際にはよく火を通さなければならない。がん汁の調理の場合には臼などで叩き潰す工程があり、このときに飛び散った吸虫のメタセルカリア幼生が他の食品に付着して摂取される危険性があるので、さらに注意を要する。肺吸虫の寄生は体部筋肉および脚筋肉、および鰓の血管内が多く、内臓部には少ない。また関節付近に多く出現することから、関節の軟甲部から吸虫がカニへ侵入することが多いと考えられる。カニの吸虫寄生率が高い地域でも現在では人の感染症が報告されることはまれであり、人以外の野生ほ乳動物への感染経路も無視できないと考えられている。

伝承など
食用のみならず、モクズガニにまつわる伝承や地名などは各地にあり、なじみ深い動物だったことがうかがえる。たとえば長崎県西海市大瀬戸町雪浦川には「つがね落としの滝」(つがねの滝)という滝があるが、これは産卵のため川を下るモクズガニが滝から落ちる様から名づけられたものと思われる。

福岡県大牟田市の夏祭りには10メートル余りの大蛇(龍)の山車が出され、大蛇の目玉争奪戦がくりひろげられる勇壮な祭りがある。その由来は諸説があるが、その1つに大牟田市三池地区の大蛇伝説がある。大蛇の生贄にされようとしたお姫様を大ツガネ(モクズガニ)がハサミを振って格闘の末、大蛇から救ったという話で、ツガネのはさみで大蛇が3つに切られ3つの池となったという。三池の名称は三池炭坑で有名だが、大牟田の一地域を示すとともに、一般的に大牟田の別称として企業名などにもよく使われる。

また、さるかに合戦の別伝で、カニがサルから奪ったカキを持って巣穴に逃げ込む話がある。サルが怒って「それでは巣穴に糞をひり込んでやる」と言って尻を向けたので、蟹がサルの尻の毛を鋏でむしった。それ以来、サルの尻から毛がなくなり、蟹の鋏には毛が生えるようになったという。

近縁種
モクズガニ(左)、チュウゴクモクズガニ(右)の比較。前側縁の突起が、モクズガニは3箇所、チュウゴクモクズガニは4箇所ある。モクズガニ類には甲の形態と鋏脚の毛の発達状態から、モクズガニ Eriocheir japonica の他にチュウゴクモクズガニ E. sinensis 、ヘプエンシス E. hepuensis 、オガサワラモクズガニ E. ogasawaraensis 、ミナミモクズガニ Platyeriocheir formosa 、ヒメモクズガニ Neoeriocheir leptognathus が知られている。 種の記載はモクズガニが一番早く、シーボルトが日本から持ち帰った標本を元に1835年に記載された。日本の動物相をヨーロッパに紹介した書物であるファウナ・ヤポニカには雄のモクズガニの立派な挿絵が描かれている。その後チュウゴクモクズガニが1853年、ヘプエンシスはモクズガニの亜種扱いから新たに1991年、ヒメモクズガニは1913年に記載されたものである。ミナミモクズガニは1939年に最初に Eriocheir rectus として記載されたが、大陸産の他種との混乱から新たに1995年に種名変更を行い、台湾産の個体をもとに記載し直したものである。オガサワラモクズガニは2006年に記載されたばかりである。ヒメモクズガニとミナミモクズガニはもともと Eriocheir 属であったが、3種(モクズガニ/チュウゴクモクズガニ/ヘプエンシス)との差を評価して、1999年に整理が行われた際に別属に直された。

河口域の干潟のみに産するヒメモクズガニ以外は、すべて河川と海の両方に分布する通し回遊種である。
ヘプエンシス E. hepuensis Dai は、突起の発達程度などに関してモクズガニとチュウゴクモクズガニの中間的な形態を有している。報告は非常に少ないが、分布域は広東省よりさらに南部の広西省自治区合浦県周辺である。

オガサワラモクズガニ E. ogasawaraensis Komai は小笠原諸島の固有種で、分布が限られ個体数も少ないため環境省のレッドデータブックでも絶滅危惧II類(VU)に指定され、保護が必要とされている。1970年に文献に分布が記録されて以来、従来は本土産と同種とみなされていた。しかし後の調査で、頭胸甲が横に広く、体色が赤紫を帯びていることや、成体ではハサミに生える毛の分布状態が異なること、サイズも甲幅7-10cmが普通で本土産に比べ巨大であることが明らかになり、さらには遺伝子のレベルでも明らかに本土産と異なっていることから、新種と認定された。

モクズガニ属は1990年代以降、国際的に分類学上混乱をきたしているグループである。Eriocheir 属のうち3種は遺伝的に非常に近縁であるため、一部の中国(大陸)の遺伝学者がチュウゴクモクズガニとモクズガニとヘプエンシスを亜種扱いにし、最も種記載の早かったモクズガニに統合した論文を発表してしまった。しかしそれを認めない他地域の分類学者はそれを無視し、従来どおり別種として扱っている。そのため学術雑誌においてチュウゴクモクズガニを Eriocheir sinensis とする表記と E. japonica sinensis とする表記が混在するようになってしまった。また染色体数の調査においては、従来 E. sinensis と E. japonica で数が異なり別種として明瞭に区別できるとされていたのが、同じ2n=146であったことも明らかとなっている。

ミナミモクズガニ Platyeriocheir formosa (Chan, Hung & Yu) は、台湾の東岸部に分布する種で、スプーン状に湾曲した鋏脚を持ち、毛は掌部の外面にみ密生する。中国大陸にも分布すると当初記載されていたが、異種であることが確認され、台湾の固有種ということで新たに記載が行われた。形態的にも遺伝的にもモクズガニ属3種と近いので、Eriocheir属として扱うことを主張する研究者もいる。現地では食用にされている。

ヒメモクズガニ Neoeriocheir leptognathus (Rathbun) は、成体でも甲幅2cm程度までの他種に比べて小型の種であり、遺伝的にも少し離れている。鋏脚の毛は掌部の内面にのみ密生する。歩脚にも毛が密生しており、遊泳することができる。チュウゴクモクズガニと同様の、黄海に面した朝鮮半島西岸域から中国の大陸部の東シナ海沿岸域の、干満差の大きい泥質の干潟に分布している。朝鮮半島ではガザミと一緒に漁獲され、食用にされるという戦前の報告がある。日本でも佐賀県などの有明海の湾奥部に分布していることが、1983年に初めて記載された。有明海は、日本では唯一大陸に類似した干満差の大きい海域であるため、ムツゴロウなど、日本が大陸と地続きであった頃から取り残されたと考えられる「遺存種」にあたる種が多数分布している。ヒメモクズガニもその一例で現地では知られているようだが、くわしい研究報告は非常に少ない。そのため2001年度の「河川水辺の国勢調査」で筑後川においてヒメモクズガニがはじめて確認されたことが話題となった。

最初にモクズガニ属が詳しく研究されたのは、ドイツに侵入したチュウゴクモクズガニである。1933年には「 Die Chinesische Wollhand Krabbe in Deutchland (ドイツにおけるチュウゴクモクズガニ)」という報告がまとめられ、形態や回遊する生態、侵入による被害まで記録されている。

中国から朝鮮半島にかけてのモクズガニ類の研究は、最初はおもに戦前統治していた日本の研究者により勧められた。1935年の「東亜のモクヅガニに就きて」には4種のモクズガニを解説している。また1941年の「朝鮮産甲殻十脚類の研究」では、朝鮮半島に酒に漬けて「酔蟹」として食べる習慣があったが、吸虫の感染を防ぐため統治政府が必ず火を通すよう通達を出したことや、一時期モクズガニの缶詰も製造されたことも書かれている。

2009年01月24日

前代未聞の展開が当時の子供のみならず


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『絶対無敵ライジンオー』(ぜったいむてき らいじんおー)は、1991年(平成3年)4月3日から1992年(平成4年)3月25日までテレビ東京系で毎週水曜日18:00 - 18:30に全51話が放送された、サンライズ製作のロボットアニメ。勇者シリーズと共に1990年代を代表するロボットアニメシリーズ「エルドランシリーズ」の第1作。

エルドラン三部作(本作、『元気爆発ガンバルガー』、『熱血最強ゴウザウラー』)のひとつ
後に「エルドランシリーズ」と呼ばれる事になる3大傑作ロボットアニメの記念すべき第1作目。教室が司令室になり、学校が変形してメカが出撃するなどの、前代未聞の展開が当時の子供のみならず、大人までをも驚かせた。

登場キャラが個性派揃いで、物語終盤には意外な人物が大活躍したり、最終回の衝撃的なストーリー(その前回で流れた予告編では、最終回の根幹を成すシーンが一切流れなかった)もあって、今なお多くのファンの根強い支持がある。

本作が誕生したきっかけはスポンサーのトミーの当時の社長である富山幹太郎が小学生の息子から、「トミーのおもちゃはカッコ悪い。僕は大きくなったらバンダイに入りたい」と言われたことだとされている。

21世紀にはDVD化された上、2005年には「スーパーロボット大戦GC(XO)」に防衛組メンバー全員が参戦しており、新たな世代への認知度が上がる可能性が期待されている。

あらすじ
陽昇学園の5年3組は元気な少年少女たちの集まりだ。元気が良すぎて脱線気味なのが担任の篠田俊太郎の悩みの種。そんな5年3組が居残っていた土曜日の午後、陽昇学園の上空から巨大ロボットとそれを操縦していた「光の戦士 エルドラン」が落ちてくる。5次元人との戦いで深く傷付いていた彼は自分が戦えないことを語り、「大地の使者ライジンオー」を子供たちに託す。その日から5年3組改め、「地球防衛組」と5次元世界「ジャーク帝国」との戦いが始まる。


登場人物

地球防衛組
日向 仁【ひゅうが じん】
声 - 松本梨香
主人公。10月18日生まれの血液型O型。出席番号8番。剣王パイロット、ライジンオー及びゴッドライジンオーのメインパイロット。両親は酒屋「日向酒店(看板表記は日向ストア)」を経営。クラスのガキ大将。勉強は苦手だが運動神経は抜群。無鉄砲なお調子者だが正義感は人一倍強く、地球防衛組を引っ張る。マリアとはケンカが絶えないが誰よりも彼女を信頼している。ラジオドラマ版では彼女に告白した。テストと注射が嫌い。将来の夢はF1レーサー(もしくはJリーガー)。
月城 飛鳥【つきしろ あすか】
声 - 岩坪理江(ゲーム「スーパーロボット大戦GC」では甲斐田ゆき)
5月21日生まれの血液型AB型。出席番号7番。鳳王パイロット、ライジンオー及びゴッドライジンオー飛行及び姿勢制御担当。家族構成は両親で、父親は出張が多いらしい。クラスの伊達男。キザで女の子には優しく、ファンクラブまで存在していたほどだが、中学に入ると呆気なく解散状態に追い込まれる。成績の優秀な優等生だが、周囲からの過剰な期待には多少辟易している。意外と間抜けな一面もあり、その事で「見掛け倒し」と言われる事に対しては反発心を見せる。一度だけ決まり文句の雄叫びを叫んだ事がある。将来の夢は会社社長。
星山 吼児【ほしやま こうじ】
声 - まるたまり
10月30日生まれの血液型B型。出席番号9番。獣王パイロット、ライジンオー及びゴッドライジンオーパワー制御、武器操作担当。家族構成は両親、兄弟が何人か。心優しき少年で気が弱いがここぞと言うときには勇気を振り絞る。UFOや宇宙人を信じている。おのぼり山で出会った一学年下の山口梢と文通で清い交際をしている。また、世界中に文通相手を持つ謎の交友関係もある。本編中メインパイロット中では唯一最後の雄叫びを上げる事がなく終わった(コドモスキーとの戦いが終わると疲れですぐに寝込んでしまっていた為)。将来の夢は宇宙飛行士。所有ライジンメダルは六角形。出動時は教室壁際の連絡版の壁から入り、グリップを握ったまま格納庫へ移動し、空中を飛んで獣王の口にある操縦桿を掴み搭乗するという、3体の中では搭乗時、最も怖い出動シーンと言われている。常におっかなびっくりな表情であったが、OVAでは凛々しい表情で搭乗する。
※本編は彼のナレーションを通して語られる形で進められる。他にもジャークドリームの内容が彼中心だったりとライジンオーとの特殊な関係を匂わせる演出が随所に隠されていて事実上の真の主人公なのかもしれない。
白鳥 マリア【しらとり まりあ】
声 - 吉田古奈美
5月7日生まれの血液型B型。出席番号16番。地球防衛組の女子委員長で司令官兼バクリュウオーメインパイロット。バクリュウオーは司令室からの遠隔操作で行っている。画家の父を持ち、父にも負けない画家になる事を夢見ている。祖母がフランス人のクォーター。顔立ちは日本人とほとんど変わらないが、まだ小学5年生にも関わらず発育が進んでおり、メリハリのあるプロポーションなどは祖母のフランス人の血の影響が出ている。勝ち気な性格で仁のお目付け役だが、誰よりも彼のことを気にかけている。所有ライジンメダルは星形で、教室を司令室に変えるキーにもなっている。邪悪獣の弱点を探るために、銀行強盗の仲間になった事もある。
アニメディアでは、あまりに出来が良すぎる為か「妹にしたくないキャラNo,1」という不名誉な称号を貰ってしまった。
春野 きらら【はるの きらら】
声 - 南杏子
9月13日生まれの血液型B型。出席番号17番。主に外部との通信担当。クラスの放送委員で。将来の夢はニュースキャスター。表裏のないさっぱりした性格。思ったことをそのまま口にしてしまうため相手を傷つけることも。飛鳥ファンクラブ会長。
今村 あきら【いまむら あきら】
声 - 南杏子
4月28日生まれの血液型A型。出席番号1番。コアロボ発進システム、バクリュウカノン担当。見栄っ張りで負けず嫌い。いわゆるロック少年で髪にメッシュを入れている。もちろん将来の夢はロックスター。地震が苦手。
池田 れい子【いけだ れいこ】
声 - 鈴木砂織
7月2日生まれの血液型B型。出席番号10番。主にライジンオーとの通信担当。クラスで一番背が低く、そのことにコンプレックスを感じている。プロレス大好きで、ジャントニオいのばばと、アントニオ稲木を崇拝している。邪悪獣ハッカルーの力で巨大化したことがある。家はガソリンスタンドを経営している(当時の日本石油スタンドにデザインが酷似しており「陽昇石油」の字があるがこれが元売会社名かスタンド名かは不明)。邪悪獣アブラーの事件では、ガソリン不足で家が経営危機に追い込まれ転校を余儀なくされそうになったり、おまけに飲み込まれてしまったりとさんざんな目に遭っている事から、1番の被害者と言える。
真野 美紀【まの みき】
声 - 鈴木砂織
10月22日生まれの血液型A型。出席番号18番。エネルギーゲージチェック、バクリュウオー各種武器類セーフティー管理担当でバクリュウカッター発射担当でもある。飼育委員で動物の世話をしている。真面目だが、諦めが早く積極性に欠けるところがある。ラブのスパルタ教育を受けた事がある。以前は犬だけは苦手だったが、邪悪獣ノラネゴンの事件の折、シッポという子犬と出会い、この事件をきっかけに犬嫌いを克服した。その後シッポは彼女の飼い犬になっている。将来の夢は獣医師。

2009年01月17日

ブレイブ・ストーリー

ブレイブ・ストーリーには、ミヒャエル・エンデの代表作「はてしない物語(ネバーエンディングストーリー)」と数多くの共通点がある。 例えば、運命の女神を幻界の殆どの人々が信仰していることは、はてしない物語の幼子の君への一種の信仰と似ている。 また、旅人の心が幻界へ強い影響を及ぼすというのは、ファンタージエンに来た人の子の、考えた通りになることに似ている。

既刊一覧(完結済)
愛蔵版は1冊、定本ハードカバーは2分冊、角川文庫は3分冊、角川スニーカー文庫は4分冊となっている。初出は新聞連載。

単行本(角川書店)
上巻 (ISBN 4048734431)
下巻 (ISBN 404873444X)
愛蔵版 (ISBN 4048734458)
角川文庫
上巻 (ISBN 4043611110)
中巻 (ISBN 4043611129)
下巻 (ISBN 4043611137)
角川スニーカー文庫
(1)幽霊ビル (ISBN 4043611072)
(2)幻界 (ISBN 4043611080)
(3)再会 (ISBN 4043611099)
(4)運命の塔 (ISBN 4043611102)

映画『ブレイブ ストーリー』
ブレイブ ストーリー
Brave Story
監督 千明孝一
製作総指揮 亀山千広
脚本 大河内一楼
出演者 松たか子
大泉洋
常盤貴子
ウエンツ瑛士
今井美樹
伊東四朗
樹木希林
ナイフ ダイア レフト レター ブライ マル ドポト フットランプ テグス パーツ なんがい トーム かにた ナツメ スモン ピンクソーダ シソーラス ジッポ リキュール ジープニー インター レコー ブート スパン コマツナギ トップバ ジーンチ 炎神 オピエー かさだか うばゆり キャンセル モスキ メトロ フォーゼ クラウト キール ばんかん アンダ シンパ せいこ 鶏頭人気 スコッ パレード オーメン トイ人 テゴル ティコア コムタン ヤハウェ

ほか
音楽 ジュノ・リアクター
主題歌 「決意の朝に」(Aqua Timez)
撮影監督 吉岡宏夫
編集 瀬山武司
配給 ワーナー・ブラザーズ
公開 2006年7月8日
上映時間 112分
製作国 日本
言語 日本語
表・話・編・歴

作品説明
フジテレビとGONZO(GDH)が共同で製作した長編劇場用アニメ。 監督は『LAST EXILE』、『フルメタル・パニック!』、『ゲートキーパーズ』などを手がけた千明孝一。製作総指揮は『踊る大捜査線』などを手掛けた亀山千広。当初、配給はブエナビスタ・インターナショナルが手掛ける予定だったが、事情によりワーナー・ブラザーズが新たに配給権を獲得した。

当作品は、ジブリ作品を中心にアニメ制作で実績のある日本テレビに対し、フジテレビが新たにアニメ映画に乗り出したもの。声優だけでなく、俳優・コメディアンがキャラクターの声に起用されているのも特徴的。原作の割愛が見られるが、より見やすくする為に配慮したものと思われる。しかし、それが原因でこの映画に対する評価が二分される事となった。

公開当時、フジテレビではこの作品のCMが頻繁に放映された。関係者のインタビュー記事によると制作費は約10億円で、フジテレビ製作の映画としては過去最大であると言う。興業成績は約20億円とまずまずの数値だったが、ほぼ同時期公開の『ゲド戦記』の記録した約76億円にはかなり水を空けられる結果となった。

原作との相違点
映画版では第一部にあたる部分が大幅にカットされている。
運命の女神が姿を模写した大松香織、ミツルのクラスメイトである宮原祐太郎、伯父の三谷悟が登場しない。
宝玉が手に入る場所と、宝玉を集めることによって使える「技」が変更されている。宝玉を集めても一時的に現世へ戻らない。
原作ではガス自殺未遂で母・邦子は病院に運ばれる。だが劇場版では父・明が家を出て行ったショックにより調理中に倒れ、点火していたガスコンロの火が何らかの原因で消えてしまった為に、そのままガスを吸って病院に運ばれる。(ガスを吸ってしまったといっても比較的軽いもので、突然の離婚によるノイローゼ状態に陥ってしまい倒れたものと思われる)。
原作ではハルネラ、シュテンゲル騎士団、老神教、女神教があり「幻界は旅人の心を反映した世界」という設定だが、映画では存在しない。つまり幻界に関する設定の大部分が削除されている。
原作中の凄惨な内容を示唆する表現は映画中にはない(大松香織とダイモン司教の関連)。
強盗容疑で投獄されたワタルは、原作では暴行を受けた上に縛り首で処刑寸前だったが、映画では暴行や処刑もカットされている。
ファイアドラゴンのジョゾは赤ん坊ということになっている(そのためか、原作では、ワタルたちを背中に乗せるぐらいの大きさだったが、映画では、ワタルの肩乗りぐらいの大きさになっている)。また、原作とは違い、セリフが無い。
原作ではワタルが正式に旅人になる前に一度、偶然幻界に行ってしまうが、映画ではその部分はカットされている。
原作ではワタルが幻界の存在を知るきっかけは夢であるが、映画では虐められていたところを助けたお礼としてミツルの口から存在を知ることになっている。
ガサラ-デラルベシ間の大部分が削除されている。
原作では、ラストの戦いでカッツが死ぬことになっている。しかし映画では、右腕を負傷しながらも生還している。
映画では、ラストでミツルと妹のアヤが復活する。
バルバローネに飲み込まれた上級生三人のうち石岡は、原作では魂を抜き取られてしまい抜け殻になってしまったとあるが、映画では、三人がどうなったかという描写が無い(バルバローネに飲み込まれた後一瞬だけ、三人が気絶しているシーンがあるため、おそらく無事だと思われる)。